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プロフィール
HN:
MAO kunoichi Ninja
性別:
女性
職業:
家事全般・子育て24時間営業
趣味:
妄想・古典芸能・自然を愛する
自己紹介:
重度キタネコ妄想患者です。不治の病です。
妖怪大好きですが、会ったことはありません。
地球と動植物と妖怪に優しい人間を目指しています。
江戸時代の文化をこよなく愛しています。
猫飼ってます。
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地球と動植物と妖怪に優しい人間を目指しています。
江戸時代の文化をこよなく愛しています。
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画像を食べちゃうひつじパーツ
2006/10/10 (Tue)
許すって、なかなか難しいことですよね。
先日、アメリカのペンシルバニア州でアーミッシュの少女たちが射殺された事件で、被害者の家族たちは犯人とその家族を許すことを表明し、家を訪れたり葬儀に招いたりしているという新聞記事を見ました。
アーミッシュって、学生の頃その存在を知ってとても興味を持ったけど、その後すっかり忘れていました。
キリスト教の、とても厳格な教義をもつ一派で、近代文明を拒み、自動車も電気もない近代以前の生活様式を守り続けているんですよね。
生活だけでなく思想も独特で、絶対平和主義や相互援助を貫いて今に至っています。
私は昔からいわゆる自然派生活、今でいうロハスな生活が好きだったこともあって、一時この宗教に関心を持ちました。
信仰したいというのでなく、その教義に学問的(?)好奇心を持ったのです。
当時はキリスト教の華麗さにも惹かれ、宗教画見たさにヨーロッパを旅していたし。
アーミッシュたちが暮らす観光地化された村を訪ねてみたいとも思ったり、アーミッシュたちが作る素朴なお菓子という本を見つけてクッキーやケーキを焼いたりもしていました。
まあ、教義そのものよりは、どちらかというと赤毛のアンの世界に憧れるような、そんな気持ちが大きかったかもしれませんが。
でも、その後イスラム教やヒンドゥ教や仏教各派などアジア方面の宗教の魅力に嵌ってしまい、すっかりキリスト教関係は興味がなくなってしまいました。
今回の事件で、久しぶりにアーミッシュのこと思い出しました。
彼らは戦争にも参加しない、というか、国も彼らの教義を尊重し、戦争のときにも武器を持たず非戦闘要員としてのみ働くそうです。
そんな彼らの、なんの罪もない少女が、個人的で身勝手な恨みの八つ当たりの犠牲になってしまいました。
犠牲になった少女の中で一番年長の13歳の子は「自分を撃って他の子を開放して欲しい」と、ワイヤーで縛り付けられ間近で銃口を突きつけられた状況の中でそう言ったそうです。その妹の11歳の子は「次は自分を撃って」と。
13歳と11歳です。
もう逃げられないと覚悟し、そんな言葉を言えるなんて、心の底から安定し周りの状況や他人の気持ちを思い遣れる人間でなくてはできません。
それが、たった13歳と11歳の子が言えたなんて。
その宗教の信仰が最善であるとは言いません。
アーミッシュでなくても、同じことの出来る13歳はきっといるに違いありません。
他にも、最愛の子供を殺した犯人を許すことの出来る親もいるでしょう。
ただ、もしみんながこの女の子やその遺族たちのような心を持っていたなら、こんな核兵器保有のチキンレースのような世界情勢にはならないだろうになーと思わずにはいられません。
お互いにが許すことをしなければ、憎しみの連鎖は絶てないのになぁ。
鬼太郎だって、だから頑張ってるのにね。
妖怪が人間を「許し」て「守る」ことで共存しようとね。
なんて。たまにはマジメに。
うざいって。
先日、アメリカのペンシルバニア州でアーミッシュの少女たちが射殺された事件で、被害者の家族たちは犯人とその家族を許すことを表明し、家を訪れたり葬儀に招いたりしているという新聞記事を見ました。
アーミッシュって、学生の頃その存在を知ってとても興味を持ったけど、その後すっかり忘れていました。
キリスト教の、とても厳格な教義をもつ一派で、近代文明を拒み、自動車も電気もない近代以前の生活様式を守り続けているんですよね。
生活だけでなく思想も独特で、絶対平和主義や相互援助を貫いて今に至っています。
私は昔からいわゆる自然派生活、今でいうロハスな生活が好きだったこともあって、一時この宗教に関心を持ちました。
信仰したいというのでなく、その教義に学問的(?)好奇心を持ったのです。
当時はキリスト教の華麗さにも惹かれ、宗教画見たさにヨーロッパを旅していたし。
アーミッシュたちが暮らす観光地化された村を訪ねてみたいとも思ったり、アーミッシュたちが作る素朴なお菓子という本を見つけてクッキーやケーキを焼いたりもしていました。
まあ、教義そのものよりは、どちらかというと赤毛のアンの世界に憧れるような、そんな気持ちが大きかったかもしれませんが。
でも、その後イスラム教やヒンドゥ教や仏教各派などアジア方面の宗教の魅力に嵌ってしまい、すっかりキリスト教関係は興味がなくなってしまいました。
今回の事件で、久しぶりにアーミッシュのこと思い出しました。
彼らは戦争にも参加しない、というか、国も彼らの教義を尊重し、戦争のときにも武器を持たず非戦闘要員としてのみ働くそうです。
そんな彼らの、なんの罪もない少女が、個人的で身勝手な恨みの八つ当たりの犠牲になってしまいました。
犠牲になった少女の中で一番年長の13歳の子は「自分を撃って他の子を開放して欲しい」と、ワイヤーで縛り付けられ間近で銃口を突きつけられた状況の中でそう言ったそうです。その妹の11歳の子は「次は自分を撃って」と。
13歳と11歳です。
もう逃げられないと覚悟し、そんな言葉を言えるなんて、心の底から安定し周りの状況や他人の気持ちを思い遣れる人間でなくてはできません。
それが、たった13歳と11歳の子が言えたなんて。
その宗教の信仰が最善であるとは言いません。
アーミッシュでなくても、同じことの出来る13歳はきっといるに違いありません。
他にも、最愛の子供を殺した犯人を許すことの出来る親もいるでしょう。
ただ、もしみんながこの女の子やその遺族たちのような心を持っていたなら、こんな核兵器保有のチキンレースのような世界情勢にはならないだろうになーと思わずにはいられません。
お互いにが許すことをしなければ、憎しみの連鎖は絶てないのになぁ。
鬼太郎だって、だから頑張ってるのにね。
妖怪が人間を「許し」て「守る」ことで共存しようとね。
なんて。たまにはマジメに。
うざいって。
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